プロフィール

伊藤大輔

自己紹介

  • 生年月…昭和50年(1975年)5月
  • 家族…妻、長男、長女、次女
  • 特技・趣味…柔道【三段】、バスケットボール、トランペット、メダカ飼育
  • 座右の銘…自他共栄(柔道創始者 嘉納治五郎先生の教え)
  • 尊敬する人…坂本竜馬、両親、妻

学歴・クラブ

  • 立川市立上砂川小学校卒:バスケットボール部
  • 立川市立第五中学校卒:ブラスバンド部(トランペット)
  • 東京都立東大和高校卒:柔道部

職歴

  • 19歳、資金20万円を持って南半球のニュージーランドへ一人渡航。 半年後、南島クライストチャーチにてツアーガイドデビュー。 同国クイーンズタウン、オークランドを転勤しながら同旅行会社にて約8年勤務。その後貿易会社へ転職。 帰国後は添乗員、英会話スクール勤務。現在に至る。

その他

  • 上砂川小学校評議員('04,'05)
  • 公益社団法人 立川青年会議所 第51代理事長(2015年度)
  • 著書 旅の指さし会話帳「ニュージーランド」編

生い立ち・きっかけ

家族構成

4人家族の長男。父の実家は秋田県の魚屋、母は同じく秋田の和菓子屋の娘で、両親は秋田県生まれの幼なじみ。小学生の時から祖父母を含め三世代、6人で暮らしました。私は東京で生まれたものの、血は100%純血秋田県人です。秋田弁はそこそこ理解できます。

父は根性の塊のような人。幼少期から野球漬けで、高校時代には三冠王の落合さんとバッテリー組んでいたそうで(父はキャッチャー)、私が小さい頃、サンタさんから頼んだ覚えのないグローブが届いたことがありました。

母は若い頃に特別支援学校の教諭をしていたりと、長く教育に関わってきた人で、生涯を通して子ども達に愛情を注いで過ごすのだろうと思います。

4歳違いの妹は、一児の母となり元気に保育士として頑張っています。7歳の頃、誤って怪我をさせてしまい、習っていたバレエを辞めなくてはいけなくなったことは今でも懺悔しています。

現在は、ニュージーランドで出会った三重県出身の妻と3人の子供との5人家族。子ども達は体を動かすことが好きで毎日バスケットボールに熱中しています。健康に育ってくれている子ども達、育ててくれている妻に感謝しています。

生まれたとき

絵に描いたようなボロボロのアパート(祖父母談)に会社員夫婦の長男として誕生。「床が抜けるから」という理由で洗濯機は置けず、風呂は無く母親が毎日銭湯に連れて行ってくれたそうで、「キレイなお湯に浸からせたい」と毎夕オープン時間に並んでくれていたそうです。

初孫

伊藤家の初孫として生まれた私は、特に祖父母からの愛情を一身に受けていました。秋田の祖父には「でぃ君のババだば、味噌汁さ入れてもけるものな!(大君(私)のウンチなら味噌汁に入れても食べられるな!)」と言っていたほど溺愛されていたそうです(笑)

幼少期

父は旅行の添乗員。母はピアノを教えていました。当時は今のように週休2日ではありませんでしたが、それでも唯一の休みに海や山、スキーなどに連れて行ってもらいました。草津温泉の宿で見た巨大な氷柱は今でも鮮明に覚えています。

柔道との出会い

4歳、妹が生まれた年に柔道を始めました。当時は人前に出ることができない子どもで、それを心配した親が「一対一の柔道なら度胸がつくのでは」という思いもあったようです。妹をおんぶした母親の自転車の後ろに付いて通った道中で見た景色をよく覚えています。先生方のご指導のおかげで黒帯をいただけた事が大きな想い出。嘉納治五郎先生の「自他共栄」は、私にとって生涯の大切な言葉になりました。

小学校時代

ゲーム類は欲しがらなかったそうで、もっぱら虫捕りに燃えていました。体は大きいけれど足が遅く、運動会は大嫌いで、応援団や騎馬戦に重点を置きました。国語、図工、音楽は得意でしたが算数は苦手でした。飼育委員会でウサギやヒヨコが生まれ育てたのは楽しい想い出です。この頃、祖父母との三世代同居が始まりました。戦時中、薬が無く赤ちゃんの時に亡くしてしまった長男のこと。戦争で失った兄弟との思い出。レコードをかけて教えてくれたたくさんの童謡。今でも深く心に残る貴重な経験となりました。

中学校時代

3年間は柔道とトランペットに打ち込んでいました。実は水泳部に入ろうと思っていたのですが「一度見に来てよ」と言われて覗いた体験会で、なぜか入部の歓迎をされ、翌週にはブラスバンド部員になっていた、というよくある流れです。因みに水泳部は一度も見に行けませんでした。

高校時代

高校は自宅から自転車で20分ほどの都立高校へ。柔道と弁当をメインで過ごした3年間。柔道部では主将を務めました。二年生も後半に近づくと、毎日一緒にいた仲間もそれぞれの進路に進み始める中、初めて自分の将来を真剣に考えました。どうしても大学で学びたいことが見つからず、最終的に海外へ行くことに。

ニュージーランドへ

高校を卒業した6月。資金20万円を手に宿も決めずニュージーランドへ単身渡航。現地で出会ったたくさんの方々に支えられ約8年滞在。よく「留学していたの!?」と羨望の眼差しで見られますが、安宿を渡り歩く貧乏生活でした。その後、ツアーガイドとして旅行業に携わりました。一番有り難かったことはツアーに含まれるご飯を食べさせてもらえたことです。

私にとって初めての社会デビューとなったニュージーランド。生まれて初めて受けた人種的差別、言葉だけでなく価値観や文化の違いを経験したことが、今の自分の考え方や価値観に大きく影響しています。

青年会議所

当時、ニュージーランドに永住するつもりで、妻と毎週末に不動産を見て回っていましたが、あるきっかけで帰国し、英会話スクールで働き始めます。しばらくして「同世代の違う職種の人たちと話してみたい」と思い、2005年、30歳で青年会議所(JC)へ入会。目からうろこ…の日々で、忙しかったけれど、二度と経験できない貴重な時間を過ごすことができました。何より、多くの仲間を得られたことが財産です。

市議選に挑戦

「何で市議会議員になろうとしたの?」と聞かれることがあります。親や親戚に政治家がいるわけでもなく、今まで政治関係の仕事をしていたわけでもない私が何故選挙に出ようと思ったのか、不思議に思われるのが当然だと思います。

もともと選挙に出ようなどとは考えたこともありませんでした。

ニュージーランドからの帰国後、地元の小学校で英語授業のボランティアをしていたこともあり、行政が作る教育施策に触れる機会がありました。ボランティアや評議員の活動をしていく中で、行政から学校現場に下りてくる指導内容にギャップを感じ、教育委員会へ疑問を投げかけてきましたが、どこの小僧か分からない者の訴えを聞いてもらうことはできず『一民間人』としての限界を感じたのです。

決して行政批判をしているのではなく、私自身も教育に関わってはいましたが、当時は行政の仕組みを知らないで一方的な見方しかできていなかったこともあります。しかし「子ども達の環境をよくしたい」という強い思いは益々大きくなっていく中で、「外からがダメなら中から変えることはできないか」と思い始めた、そんな折に長島昭久 衆議院議員、酒井大史 前都議会議員に出会い、きっかけを頂きました。

これが「何で市議会議員になろうと思ったの?」の一番最初のきっかけです。

年表

1975年5月
秋田県出身の両親のもとに東京生まれ・純血秋田人 長男として生まれる。
1979年7月
妹が誕生。この年に柔道を習い始める。
小学校  立川市立上砂川小学校 卒業
上砂川バスケットボールクラブ(KBC)
中学校  立川市立立川第五中学校 卒業
ブラスバンド部(トランペット)
高校   東京都立東大和高校 卒業
柔道部 主将
1993年6月
高校卒業の2か月後、資金20万円を持ち単身ニュージーランドへ
ワーキングホリデービザで放浪の旅が始まる
現地旅行会社で初めての就職。ツアーガイドから始まり、後年はニュージーランド全国のカスタマーサービス責任者就任。
2004年
帰国。英会話スクールを運営。
2005年
長男誕生、立川青年会議所(立川JC)へ入会。
2006年6月
立川市議会議員 初当選。
2008年7月
長女誕生
2010年6月
立川市議会議員 2期目当選。
2011年
東日本大震災で被害を受けた石巻市へ2度ボランティア活動に入る。
2013年
土砂災害で被害を受けた大島へボランティア活動。
2014年6月
次女誕生、立川市議会議員 3期目当選。
2015年
鬼怒川氾濫で被害を受けた茨城県常総市へボランティア活動。
(立川JC)第51代 理事長 就任。
2016年
熊本地震で被害を受けた熊本県へトラックで物資運搬。

議員履歴

  • 2006年 初当選以来3期連続当選(現在3期目)
  • 文教委員会 委員長(2011年~2012年、2016年~2018年)
  • 予算特別委員会 委員長(2014年)
  • 議会運営委員会 副委員長、議会改革特別委員会、議会基本条例策定協議会
  • 青少年問題協議会、聖苑組合、国民健康保険協議会、農業委員会

立川青年会議所(立川JC)履歴

2005年
入会
2006年
青少年委員会 幹事
2007年
教育政策 立川委員会 副委員長
杉並区和田中学 当時校長の藤原氏による学校・教育改革の講演を開催
2008年
第2国際アカデミー委員会 副委員長
200名を超える地域の方々と共に世界70カ国からの同志を迎え「第21回 国際アカデミーin立川」を開催
2009年
総務委員会 委員長
2010年
渉外委員会 委員長
2011年
副専務
東日本大震災 被災地 立川JCメンバー40名と共に石巻市へ入る
2012年
TJC政策策定特別委員会 委員長
現在も続く立川JC政策を策定、公益法人格取得
2013年
専務
公益社団 初年度を運営
2014年
副理事長
わんぱく相撲 国立場所の足掛かりをつくる
2015年
第51代理事長 スローガン「自他共栄」
現役を卒業
2016年
直前理事長
東京ブロック大会 立川大会をタチヒ企業様所有地「ヤギさん広場」で開催

これまでの実績
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